「澤瀉屋 読み方」と何度も検索してしまうという場合、あなたはこの単語を覚えられないツボにハマっていると思われます。
私も何度も何度も調べては、「ああ、おもだかやって言うんだったな」とその度に思うと同時に、自分の脳みそはもう駄目かも分からんね、と感じたものです。
この記事では、澤瀉屋が読みにくくて覚えにくい名前になった理由、つまり由来を調べた結果、どういうわけかその後は忘れなくなったことを報告しています。
澤瀉屋の読み方は何度調べても覚えられない
もう何度「澤瀉屋 読み方」と検索したことか。
あのニュースが出て以来、「え、みんなこの澤瀉屋(コピペ)ってやつ普通に読めてるの?」と不安な気持ちが続いています。
「おもだかや」。
なんとも、この字面からは連想できない音の響き。
だって、澤って「さわ」「ざわ」以外の読み方知らないよ?
次の日になってまた別のニュース記事を見ますよね。
やっぱり、なんだっけこの澤瀉屋(コピペ)って、と。
もう澤瀉屋のところをiPhoneでコピペするのって面倒なんだよ!
だいたいなんでこんな面倒な名前なのよ、ということで由来を調べました。
澤瀉屋(おもだかや)の由来を調べたら以来な副産物
そもそも澤瀉屋というのは歌舞伎の屋号で、屋号というのは一門の名前のようなもの。
そして澤瀉屋ってなんでこの名前なのかというと、もともとは江戸時代から初代市川猿之助の実家が匙澤瀉(サジオモダカ)という薬草を扱う薬局だったかららしいです。
歌舞伎というと市川團十郎っていうイメージですが、澤瀉屋の当主が市川猿之助という名前で、同じ市川という名字なのはなぜでしょうか?
調べたところ、1870年(明治3年)に9代目市川團十郎に初代市川猿之助が弟子入りしたからだそうで、市川團十郎の屋号は成田屋ですが、澤瀉屋は成田屋の弟子筋ということになります。
因みに初代市川團十郎は1660年、江戸時代に生まれていて、実家が千葉県の成田山新勝寺に縁があったので屋号が成田屋というとか。
市川團十郎は最初市川海老蔵と名乗ったそうで、1673年に初舞台を踏みました。その後1675年からは市川團十郎を名乗ったそうな。
2023年現在、348年も続いてるんですね。
かなり脱線しましたが、初代市川猿之助の実家の家業に由来していたんですね、澤瀉屋(おもだかや)は。
しかしここまで調べてみると、意外と脳内に定着するもので、澤瀉屋の読み方覚えちゃいました。
ということで、今回は歌舞伎関連・澤瀉屋(おもだかや)についてでした。
いかがでしたでしょうか?
このような一息つくような記事もたまには良いですよね。